不器用な私のフロー状態の「忘れ物」を届ける挑戦。

描き始めの絵。

こんにちは、ひつじです

「あれ、これ、どうやって描いたんだっけ……?」


描き終えたばかりの作品を前に、

私はよく立ち尽くしてしまいます。汗


自分の手で描いたはずなのに。筆を握っていたのは、間違いなく私だったはずなのに。

キャンバスの上にある「その色」を、どうやって作ったのか。

どうしてそこに筆を置いたのか。

驚くほど、記憶がスッポリと抜け落ちているんです。


まるで、描いている間だけ、私はどこか遠い場所へ行っていたみたいに。


専門的な言葉では

「フロー状態」とか「ゾーン」

とか呼ぶらしいです。


時間も忘れ、お腹が空いたことも忘れ、ただ絵と向き合っている。

その瞬間は、魂がそのまま絵の中に溶け込んでいくような、あの感覚。


けれど、トンネルを抜けると、

完成した絵と、空っぽになった自分の記憶だけ。


「あのアプローチ、もう一度やりたいな」

と思っても、手が再現してくれない。

自分の見つけた宝物を、

自分で失くしてしまうような、そんなもどかしさをずっと抱えていました。

記憶を追い越していく「複雑な工程」


特に私の絵は、単純にチューブから出した色を塗って終わり、ではありません。


大粒の顔料をどう広げるか、数あるメディウムをどのくらいの割合で混ぜ、

どの程度の粘り気で置いていくか。それは、その時の私の指先だけが知っている「感覚の調合」です。

綿菓子色の水平線


「このザラつき、どうやって出したんだっけ?」


「この透明感は、どのメディウムを重ねた結果だっけ?」


描き終えた後に自分の作品をじっと見つめて、

まるで他人の研究成果を解読するかのように、記憶の糸を手繰り寄せる。

でも、複雑に重なり合った層(レイヤー)の下に何があるのか、

もう私にも分からないのです。メディウムの乾き具合を待つ数分間、

顔料が定着するまでの絶妙なタイミング。

そんな「工程の積み重ね」こそが私の表現の核なのに、

フローという激流に流されて、そのレシピはいつも消えてしまうのでした。

「動画」という高い壁


「動画で撮っておけばいいじゃん」

自分でもそう思います。

でも、私は動画を撮るのが、

どうしようもなく下手くそなんです。


スマホをセットして、録画ボタンを押す。

その瞬間、私の頭の中に

「誰かの視線」が入り込んできます。

「画面が暗いかな、光を調整しなきゃ」

「しゅ、しゅ、集中できなーーーい」


カメラという「レンズの目」を意識した途端、

あんなに自由だった私の世界に、ノイズが混じり始める。

「見られる私」を演じ始めた瞬間、絵との対話は途切れ、指先が強張る。

結局、中途半端な動画と、納得のいかない絵が残るだけ。


だから私は、記録することを半分諦めていました。


「私は、ただ描くことしかできない不器用な人間なんだ」って。

SNSの「綺麗」と、私の「リアル」

そして正直に告白します。

私が今まで動画で作品のアップのみ、背景を映らないようにしてたのは、

自分の「散らかり」が恥ずかしかったからです。汗。

今日のテーブルは綺麗。

SNSを開けば、そこにはキラキラした世界が広がっています。

白を基調とした清潔なテーブル、整然と並んだお洒落なアトリエや可愛らしいアトリエ

まるでインテリア雑誌のような世界。

それを見ては、「すごい、映えてる!かわいい!綺麗!」と溜息をつく毎日でした。

そして、ふと自分のテーブルに目をやるんです。

そこにあるのは、

絵の具まみれのメディウムの瓶、

顔料の粉で汚れた床、

ボロボロの布、

何十本も突っ込まれた筆の山。

ぐちゃぐちゃに散らばる絵の具。。。。

「……私って、こんなに散らかすタイプだったんだ」

他人の「綺麗」を見るまで、自分のカオスっぷりに無自覚だったことに、改めて気づかされてしまいました。

でも、ある時思ったんです。

私がフロー状態に入っているとき、

頭の中はもっともっと「ぐちゃぐちゃ」で、もっともっと「熱い」はず。

その熱量をキャンバスにぶつけるとき、

テーブルの上を整える余裕なんて、

1ミリも残っていないのが「私」なんだ。

映えているテーブルを見て、「いいなぁ」と憧れる気持ちは消えません。

でも、私のぐちゃぐちゃのアトリエは、

それだけ私が必死に、魂を削って色を追い求めた「戦場」の跡。

だったら、その「映えない」姿こそが、

私のアーティストとしての正解なんじゃないか。

格好悪い私。

散らかり放題の、私のリアル。

衝撃の出会い「タイムラプス」


そして、最近良いものを見つけました。


それは「タイムラプス」という機能の存在。


……いや、恥ずかしい話、今の今まで名前すら知りませんでした。

「タイムプラス?」「タイム……何?」

どうやらこれを使えば、数時間の格闘をギュギュッと数十秒に縮めてくれるらしいんです。


「そんな魔法みたいな機能、私のスマホに入ってたの?」


機械音痴の私にとっては、世紀の大発見でした。しかもこれなら、回しっぱなしにして、

視界の外にポイっと置いておけばいい。「映え」なんて気にせず、

ただ私が格闘している「足跡」を、機械に勝手に覚えていてもらう。


上手くいくかは分かりません。

三脚を立てるのすらモタモタすると思います。


でも、私の「忘れてしまう」を、少しだけ形に残してみたい。


今日から、そんな「不器用な記録」への挑戦を始めてみようと思います。

不器用な私の、小さな革命

記録したいのは「正解」ではなく「迷い」


私が今回、あえて苦手な動画(タイムラプス!)に挑戦しようと思ったのには、

もう一つ理由があります。

それは、完成した作品からは消えてしまう

「迷い」の時間を残しておきたい、と思ったからです。


メディウムを混ぜる時、私はいつも迷います。

「もう少し透明度が欲しいか?」

「いや、この顔料の粒立ちを活かすなら、こっちのメディウムか?」


スマートに最短距離で正解に辿り着けたらカッコいいのに、

でも、最近気づいたんです。その迷っている時間にこそ、私の「ひつじ」としての体温が宿っているのではないか、と。

後で見返したとき、「あ、ここで私は迷った末に、この青を選んだんだ」と、

自分の心の揺れを再確認できる。

それは、どんなに精巧な完成写真よりも、

私にとっては価値のある「宝の地図」になるはずです。

「撮影」を儀式にしないための、私なりの工夫


さて、そうは言っても「動画が下手くそ」な事実は変わりません。


だから私は、自分にいくつかの「ゆるいルール」を課すことにしました。

「映え」を1ミリも狙わない
おしゃれなアトリエ風景なんて撮りません。散らかった絵の具のチューブ、使い古したボロ布、メディウムでベタベタになった瓶。それらが映り込んでも「それが私のリアルだ」と割り切ることにしました。

スマホを「空気」にする
カメラを正面に置くのはやめます。私の視界に入らない、肩の後ろあたりに三脚を立てる。スマホをセットしたら、あとは画面を見ない。「撮っている」ことを忘れるための、物理的な距離。

失敗しても「それが私」
もしピントがボケていても、途中で電池が切れていても、録画ボタンを押し忘れていてもそれはそれで「あぁ、私らしいな」と笑い飛ばす。完璧を目指すと、また筆が止まってしまうから。

未来の自分へのメッセージ


この挑戦を続けた先に、何があるのか。


もしかしたら、数ヶ月後には

「メディウムの黄金比率」が並んだ、

自分だけの秘伝書ができているかもしれません。

あるいは、相変わらず「やっぱり撮影は無理!」と投げ出しているかもしれません(笑)。


制作の邪魔になったら意味ないですから。


神様にも相談してみました。動画に記録していいですかー?と、


うまくいったら「タイムラプスを撮ってみた結果」をご報告できると思います。

おわりに:人生は芸術


アーティストの皆さんも、そうでない皆さんも。


何かに夢中になりすぎて、自分を見失うほどの瞬間を大切にしてください。


そして、もし私のように「自分は不器用だから」と諦めていることがあったら、

スマホの端っこに隠れている、小さな機能に頼ってみるのも悪くないかもしれません。


さあ、今日は、どんな色が生まれるでしょうか。


ひつじでした。