世界一かわいい破壊――高校生の私が『ひなぎく』に出会った日

懐かしのVHS

こんにちは、絵描きのひつじです。

今日は私の好きなガーリー映画の紹介です。

90年代後半、まだ高校生の頃、

学校の帰り道にあったレンタルビデオ屋で

なんとなく手に取った

チェコの映画『ひなぎく』。

まずパッケージがかわいくて惹かれました。

観始めてすぐ、私は驚きの連続に巻き込まれました。

ケーキをぐちゃぐちゃにしたり、

食卓をひっくり返したり、

男の人をからかったり。

意味のある話なのかどうか、

正直よくわからない。

だけど目が離せませんでした。

色鮮やかな映像と、

どこか不気味なふざけ方が、

ただの遊びじゃない何かを伝えている気がしたのです。

これはわかる映画じゃなくて、感じる映画」――そんな衝撃を今でも覚えています。

『ひなぎく』とは? そして監督ヴェラ・ヒティロヴァ

『ひなぎく』(原題:Sedmikrásky / 英題:Daisies)は1966年にチェコスロバキアで生まれた前衛映画です。

監督はヴェラ・ヒティロヴァ(Věra Chytilová)。彼女は女性として、そして映画界の枠にとらわれない自由な表現で知られています。

ヒティロヴァは1929年生まれ。プラハの映画学校を出てから、

当時まだまだ男性中心だった映画業界で異彩を放ちました。伝統的な物語映画ではなく、

実験的で反権威的な作品を次々に作り、

社会や女性の立場を独自の視点で描いてきました。

『ひなぎく』はその代表作のひとつ。

社会の常識や抑圧に対して、

ふたりの少女が自由奔放に「破壊」していく様子を、

色彩豊かで斬新な映像で表現しました。

彼女の映画は見る者を挑発し、思考を刺激します。

だからこそ、60年代の共産党支配下のチェコスロバキアで一部検閲に遭いながらも、

多くの人の心を掴み、今もなお世界中で評価されています。

破壊と遊びの美学

映画はストーリーよりも、イメージやリズムが主役。ふたりの少女が社会のルールを無視し、

ケーキをぐちゃぐちゃにしたり、男の人をからかったり、意味のない行動を繰り返します。

かわいいものがたくさん映るのに、

それが次々に壊される。

華やかでカラフルな映像と、

ふざけた行動が強烈なコントラストを生みます。

これは単なる「いたずら」や「ふざけ」ではありません。

秩序や生産性、

男性優位の権力構造を笑い飛ばし、

皮肉りながらも、怒りより遊び心を感じさせる表現です。

社会と時代背景

『ひなぎく』が生まれたのは、1960年代のチェコスロバキア。共産党の厳しい管理体制の下、

芸術家は自由にものを言えませんでした。

プラハの春というわずかな自由の兆しが訪れる直前の時代です。

そんな時代に、ヒティロヴァの映画は社会の矛盾や息苦しさを鋭く突きました。

批判は怒りではなく、ふざけることで表現されました。笑いながらルールを破ることで、

強いメッセージを伝えたのです。

笑う怒り、賢く強い生き方

ふたりの少女は、世界に叫びをあげるのではなく、冷めた目で見てニヤリと笑います。

その怒りは叫びや暴力でなく、ふざけて遊ぶことによって現れます。

怒らず、でも従わず。ルールを壊すのも、

ただの破壊では終わらない。

ちゃぶ台をひっくり返しながらも、

それをユーモアに変えてしまう強さがあります。

これはとても賢くて、力強い生き方。

ヒティロヴァ監督が伝えたかったのは、そんな自由の形かもしれません。

今の時代に響く『ひなぎく』のメッセージ

現代社会は、ルールやマナー、空気を読みすぎて疲弊しがちです。誰かの顔色をうかがい、「ちゃんとしなければ」と頑張り続ける日々は心をすり減らします。

そんな中、『ひなぎく』のふたりは社会に背を向けるのではなく、

ふざけることで自由を手にしています。

正面から反発するのではなく、笑い飛ばすことによって。

私たちもふざけることを忘れたら、

息苦しい世界になってしまうかもしれません。

だからこそ、時には『ひなぎく』のように、

かわいくてばかばかしくてちょっと毒のある笑いを大切にしたいと思います。

高校生の私が感じた「ただのおふざけじゃない、でも真剣な何か」は、

ヴェラ・ヒティロヴァ監督の自由な魂そのものでした。

『ひなぎく』はこれからも、自由を愛するすべての女性の心に響き続けるでしょう。

それでは今日はこの辺でひつじでした。