
こんにちは絵描きのひつじです。
今回は神様が出てくる映画の紹介です。
人からの勧めでふと観たこの映画『アメージング・ジャーニー(原題:The Shack)』は、
神様の映画は説教くさい、そんなイメージをふわっと裏切ってくれた作品でした。
きっかけは、聖書を少しずつ学びはじめて、神ってどういう方なんだろう?って真剣に考えるようになってから。
そんな時に出会ったこの映画は、
悲しみや怒りの中にあるひとりの父親と、
神との静かな対話を描いていて、
じんわり心にしみました。
信じる・信じないに関係なく、
「心に問いかけてくる」映画です。
物語
映画『アメージング・ジャーニー』は、末っ子の娘ニッキーが誘拐され、命を奪われてしまうという非常に辛い出来事から始まります。多くの人にとって避けたい悲劇ですが、この映画は単なる悲しみの物語ではありません。そこには、死を超えた希望と愛、そして祈りの力が静かに描かれています。
娘の死と父の苦悩
ニッキーの死は家族に深い悲しみをもたらし、特に父親のジョンは、その喪失感に押しつぶされそうになります。彼の心の中には「どうしてこんなことが起こったのか」という疑問と、娘を救えなかった自責の念が渦巻きます。
しかし映画は、悲しみだけを描くのではなく、そこから「どう生きるか」を見つめる物語です。ジョンは祈りを通じて、失った娘の魂が安らぐ場所、いわゆる「天国」にたどり着こうと奮闘します。
祈りの力と天国への旅

ジョンの旅は、単なる物理的なものではありません。彼の心の中で起こる葛藤や、祈りの姿勢が丁寧に描かれています。映画は、信仰を持つ人に限らず、誰にでも理解できる形で「祈りの力」を伝えています。
また、天国は単なる場所ではなく、「神の家」として表現されており、そこには安らぎや愛が満ちています。ジョンは娘と再び会えることを信じ、その希望を胸に前を向こうとします。
三位一体の神の表現

映画の中では、聖書の核心的な教えである「三位一体」の神が象徴的に描かれています。
三位一体とは、「父なる神」「子なるイエス・キリスト」「聖霊」という三つの存在が一体となっているというものです。
この概念は難しく感じるかもしれませんが、映画は視覚的かつ物語的にそれを表現しており、専門知識がなくても「神の愛」や「つながり」として受け取れるようになっています。
信じることの意味
ジョンは最初、神の存在や救いを疑い、娘の死に怒りや悲しみを感じていました。しかし、物語が進むにつれて、祈りや信仰が彼の心を少しずつ癒していく様子が描かれています。
信じることは単に宗教的な儀式ではなく、自分自身を癒し、困難に立ち向かう力になることを映画は教えてくれます。これは、信仰がない人にとっても共感できる普遍的なメッセージです。
死後の世界のイメージ
『アメージング・ジャーニー』は、死後の世界を恐ろしいものとしてではなく、愛に満ちた場所として描きます。天国は悲しみを癒し、再会と安らぎを与えてくれる場所です。
こうした描写は、観る人に「死」について前向きに考えるきっかけを与えます。失った人がどこかで幸せにいると感じられることで、心の平安を得ることができるのです。
まとめ

この映画を観終えたあと、「神様はこんなふうに人の痛みを見ておられるんだな」と静かに心が震えました。人間の目には不幸や絶望にしか見えない出来事も、神のまなざしの中では、癒しや回復の入り口になっていることがある。その視点を知ると、これまでの自分の痛みも、少し違って見えてくる気がします。
私たちは、正しさや理由を求めて苦しむけれど、神様は「共にいること」を差し出してくれるんだなと、この映画を通して感じました。信仰がある方はもちろん、まだ聖書を知らない人にも、何かしらの「救いのかけら」が届く作品だと思います。
ひつじでした。